岸田首相の所信表明、一人の日本国民として聞いてみて、
「目指している方向は間違いなく正しい」
そう強く感じました。
長らく世界で主流であった新自由主義は、世界のトップ数百人の資産が下45億人が持つ合計資産を超えてしまうというあまりにも理不尽な格差を生み出し、今なおその格差が広がり続けるという危機的状況から私たちの世界は抜け出すことが出来ていません。
これは、当然の帰結でしょう。
人の欲には限りがなく、一度「手に入れた」人間が、もっともっと欲しいと考えるのは容易に想像がつく事です。そこに「社会に適切に組み込まれた仕組み」が無い限り、富と権力が暴走することは歴史が証明しています。
そういった現在の世界全体の状況に対し、今回岸田首相が打ち出した
「新しい資本主義」
という考え方は極めて重要になってくると私も考えます。
私は「欲」を否定する立場ではありません。人間が生きていく、成長していく、発展していく上で「欲」は欠かすことの出来ない人の資質です。「欲」が無ければ人類はとっくの昔に絶滅しているでしょう。
問題なのは「暴走する我欲」です。
新自由主義は間違いなく、この「我欲」を好しとする仕組みを生み出しました。
「自分が良ければ、それでいい」
この規模感が現在の社会では、
「自分が良ければ、全世界がどうなろうと関係ない」
そういった思考と、この思いを実現できてしまう権力、この二つを持った「特権階級」が今世界には存在してしまっています。
この考えは間違いなく危険な考えです。私たちは社会の中で生きており、社会との関わり合いの中で生活を保っています。
周りあっての自分、でも同時に、自分あったの周りでもあります。
個人の欲と社会全体のバランス、これを調和させる為の、既存の社会には無い新しい仕組みが社会には求められているというのは、世界の総意でしょう。
それを、
「新しい資本主義」
と表現した岸田首相の所信表明は、極めてバランス感覚に優れたものであったと考えます。
しかしながら、まだ現段階ではその「中身」が見えてこないのも事実です。目指す方向として共有するゴールは素晴らしい、パッケージは美しい、良いことです。
しかし、その中身はどうなのか?
分厚い中間層の構築、再分配の強化といった言葉には説得力があります。
しかし、その方法は?
対象となる国民は誰なのか?
具体的予算規模は?
私たち国民は彼らの「美しき目標」だけに惑わされることなく、足元で行われる現実の施策を見定めなければなりません。
私自身、引き続き現政権の「具体案」を注視し、その実態を皆様へお伝えすることに尽力したいと思います。そして当然内容に異論がある際は、“対案と共に“建設的議論を行うための批判を行なっていきます。
辻健太郎